人生のターニングポイント編 パート2

皆さんの人生のターニングポイントって、いつでした?

私は、3回ありました。

大学生の時。(20歳くらい)

仕事に家庭に大変だったとき。(30歳くらい)

会社の代表になったから(42歳)

今回は、仕事に家庭に大変だった30歳編について話したいと思います。

仕事は充実していて、スーパーマーケットで働いていて、精肉担当から青果担当から鮮魚担当まで、経験して、やればやるほど自分の担当の部門の成績が伸びて、まさに絶好調!!!

完全に勘違い野郎でした。

 

 

時代の追い風、スタッフの協力など周りへの感謝など、どこ吹く風~
 

「俺が、俺が!!」

という感じ。

そして、新店舗の店長に大抜擢されて、ますます張り切ることになります。

しかし、世の中そんなに甘くない。

 

「焼肉定食」じゃなくて、

「弱肉強食!!!!」

頑張った人間が評価されて出世して、給料が増えていく。

結果が残せなかった人間は、それなりの評価と待遇が当たり前。

という成果主義の考え方に偏ってしまい、あっという間に職場で浮いてしまう・・・・・・

 

そりゃ~、そうじゃわ!!

一言に仕事と言っても、

「お金のため」

「職場が近いから」

「楽しそうだから♪」

「楽そうだから」

「お給料は安くても、その仕事が好きだから」

「職場の人間関係が良いから」

などなど、いろんな理由で働いている人が居るわけで、みんなが同じ理由で働いているわけではないのに、自分の価値感を押し付けようとしていた。

結果、朝から晩まで、休日もとらず率先垂範で頑張っていれば、いつかみんなが付いて着てくれると思っていたけど、

自分が頑張れば頑張るほど、みんなとの距離が広がる・・・・・・

そうすると身体も疲労がたまり、気持ちにも余裕が無くなり、家庭でも新婚で子供も生まれたばかりの妻を労わってやることも出来ない自分。

 

本当に、家族や子供に迷惑をかけてしまいました。

 

そんなこんなで、自分自身の体調を崩して、会社を辞めることになる。

そして、しばらくそんな自分に自己嫌悪になり、自分を毎日責めて、また落ち込むスパイラル・・・・・

 

 

 

そんなダメな自分を支えてくれたのが、家族と、高校時代からの心友と、じいちゃんの心友だった師匠。

この人たちが居なかったら、今頃自分が生きていたかどうかも分からない。

一生かけて恩返しをしていく。

今は病気の母は、私が元気になるようにと、四国お遍路さんに半年かけて行ってくれた。

心友は、夜中や辛い時にいつも一緒に過ごしてくれた。

師匠は、すべてを受け止めて聞いてくれて、人生の先輩として心に沁みるアドバイスをしてくださった。

家族は、みんな口に出さないけど、待っていてくれた。

そんな周りに生かされて自分がいる。

そのことを胸に刻んで、今度は自分の周りで傷つき、弱って、助けを求めている人が居たら、自分の出来ることで応援してあげたい。

 

たいしたことは出来ないし、スタンドプレーではなく、そっと寄り添うことがしたい。

なので、最近は、「甘い」とか、「丸くなった」、「牙を抜かれた」と言われたりもするし、
 

自分でも思い当たることもあるけど、この自分を受け入れて、あるがままで生きて生きたいと思っている。

「問題があることが問題ではなく、

問題に振り回されている自分が問題」
 

っしゃ~!!!!!